2011.10.7〜10 高野山〜和歌山の旅‐1
今回は夫と二人旅ではなく、知り合いと一緒の旅です。
まずは関西空港までお出迎えに〜
↑泉大津PAからは、大阪湾が一望できます。
関空へ向かう道。
天気もいいし、気持ちいいぞ〜♪(^0^)
画像のサイズがまちまちです(T T)
デジカメに合わせていた携帯のサイズが
いつの間にか変わっていた…
見にくくて、すみませんm(__)m
時間もあるし、空港内を散策♪
まずは蓬莱551で、豚まんを購入♪
ぼてぢゅうでお好み焼き♪
たこ昌で、たこ焼き♪食べてばっか(^^;)
弘法大師のお母様が奉られている慈尊院。
当時、高野山は女人禁制だったため、
修行に行く弘法大師をこの寺で見送ったとされる。
安産を祈る乳房形の絵馬が目を引きます。
多宝塔は
平成の大修理中→
↓“高野より母を訪ねて九度”
この辺りの地名は九度山町といいます。
という。
本堂の弥勒堂は、
紀伊山地の霊場と参詣道のひとつ。
九度山はかきの産地でもあります。
なんと一山500円!買いでしょう〜。
熟した柿を“今日中に食べてな”と
店のおじいさんが、おまけにくれました。
ここを拠点に、道100選である
高野山への祈りの石道が続いています。
今日の宿泊は、高野山「別格本山 普門院」です。
宿坊に泊まるのは初めてなので、ちょっと緊張〜どきどき…
お部屋はこんな感じ→
弘法大師の師匠が、弟子の高野山開創を喜び、この寺を建てた。
しかし明治時代、高野山大火災により全焼。古い拝殿を移築した。
食事処。もちろん精進料理。
こんな素敵なお部屋でお食事です。
部屋からは、廊下をはさんで庭園が見えます。
襖絵も古くて豪華。
普門院には、バリアフリーの豪華洋室もあります。
8日は、6時半より本堂にて朝のおつとめ。
寒い本堂に正座して…というイメージでしたが、
ストーブも焚かれ、椅子席でした。
朝食は7時から。
早起きで健康的♪
早起きをしたので、ひとりでふらふらお散歩♪
これでも交番です→
お土産店も
なんとなくお寺風。
町は、お寺だらけ。
すべて真言宗のお寺です。
高野山開創1200年のイメージキャラ
こうやくんが町のあちこちに立っています。
今日は一日高野山めぐりです。
中の橋から
弘法大師御廟がある奥の院を目指します。
一の橋から奥の院に続く約2キロの参道には、名だたる武将や大名、大企業など
宗派をこだわらず墓碑が20万基以上あるといわれています。
ガイドマップの看板を見るだけでも“上杉謙信・石田光成・明智光秀・武田信玄・徳川家康…”
“キリン・日産・福助・ソニー…”とにかく有名企業でないものがないんじゃないかと思うくらい。
←日産・福助・キリン。
それぞれ凝った墓碑です。
豊臣家・織田信長・松平家→
この川から先が御廟。
聖域のため撮影禁止。
普段は全く信心深くない私たちですが、
お参りをしてとても心が軽くなった気持ちがします。
全国からこの地を訪れる人が絶えません。
お参りした後は、休憩所でお茶。
自分で入れて、茶碗も自分で洗います。
僧侶がなにかを運んでいました。
TVで見た食事を運ぶ様子に似ているが?
かさ國さんで、くずもちと高野山名物やきもち。
↑大絵堂
↑国宝 不動堂
高野山最古の建造物
↑御影堂
根本大堂と三鈷の松。
弘法大師が伽藍建立の地を探し
誓願をかけ、三鈷杵を投げたところ、
高野山の松に掛かっていた。
普通の松葉は2本ですが、この松葉は3本。
お守りに持ち帰るといいとされています。
金剛峯寺とは、高野山全体の総称でしたが、
豊臣秀吉の母菩提寺として建てられ再建したのが、現在の建物。
←金剛峯寺
こうやさくんの
顔ハメパネル
←大門
高野山開創時は鳥居だったが、
その後何回か立て替えられた。
大門のすぐ前に道100選の碑を発見。
慈尊院から続く石道はここに続いていたのですね。
今晩のお供に
おみやげを
買って本日終了。
本日の宿は、台風被害もあった
奥高野野迫川温泉。
高野龍神スカイラインは、
まだ通り抜けができません。
いたるところで工事中。
山がごっそり削れていました。
世界遺産の小辺路も
かなりの被害を受けたようです。
ホテルのせ川。
オーナーさんもとても気さくで心温まるお宿です。
一時は、電気・水道・ガス・電話すべて不通だったそうです。
部屋からはあまごの泳ぐ清流が…
お宿名物オリジナルの鴨猪雉(かしき)鍋♪
鴨肉は、歯ごたえがあり肉の味がしっかり。
雉肉は、ささみっぽい淡白な味。猪肉は、臭みもなく脂身も多い。
野菜もいっぱい、うどんもあり食べ応え充分!しかも、まつたけご飯まで♪うまっ♪
温泉は、単純硫黄泉で温まります。
いつもキャンプばかりだけれど、温泉旅館はやはり最高♪
まったり〜♪のんびり〜〜♪
かおり100選より 高野山奥之院の杉と線香
道100選より 高野山道路